2018.6.18  スクール

問題点を自分におく

小村真理子です。

先週、今月の神戸での麻紀ちゃんのスケジュールがすべて終わりました。

今月のスクールでは「葛藤と穏やかさ」⇐わたしのブログを読んだ感想、という課題が出ています。

みなさん個々に自分に向き合うものにフォーカスされて、そして問題点を自分においてらっしゃいました。

例えば・・
規則正しい生活の大切さにフォーカスする人
最近は葛藤することがなく穏やかな日々なのに、それが退屈だと感じる人
最近でていた怒りの感情にリンクして自分の中の疑惑と憎悪を感じた人
西の魔女のおばあちゃんのような人になりたいと思った人

それぞれがそれぞれに感じることが違っていて、わたしもとても興味深く聞かせてもらいました。

その中で、とても素晴らしい感想をいただいたので紹介します。
スクールに通い、もうすぐ2クールが終わる『ボディケアサロン Puna Aloha』のオーナー森田晃子さんです。わたしはあきちゃんと呼んでいます。

以下あきちゃんの感想です。

感情に支配されること、自分は悪くない、正しい、相手が間違っていると責めること、相手はこうに違いないと盲信してしまうことは、本当にエネルギーを消耗するし、幸せではない。

それが自分の中の一部のパーソナリティであること、その一部のパーソナリティに乗っ取られてしまっていることに気づかず、
『これがわたし自身だ』と思い込んでいるから、
必死で自分を守ろうと、恐れからのエネルギーの使い方をするから、そうなってしまうのではないかな、と思う。

『こうに違いない』と主張したくなるものほど、乗っ取られ、囚われているエゴイズムだと思う。
エゴイズムがあることを認め、ちゃんと見てあげること。
それは一部のパーソナリティで、自分のすべてではないんだということを、自分自身が理解してあげていれば、わたしは悪くない!わかってほしい!と騒ぐ必要はなくなる。

人それぞれの中に真実があり、自分が自分を理解してあげていれば、心の中の葛藤は、あったとしても、静かなものだと思う。
荒ぶる感情は、自分の中の何かが反応しているから。
それは何なのか…

感情とは別に、その反応に気づき、それはどこからきているのか、自分の奥を見ていく、という訓練は、麻紀ちゃんのスクールに行くようになってから、ずいぶんできてきたように思う。

だけど、真相はどうなのかを追求し、事実を知りたがるわたし、目に見えるものとして確信を持ちたがるわたし、は、まだまだいる。

たとえ、目には見えずとも、事実がどうであれ、心の中を穏やかにする選択ができるか…

見て見ぬ振りをして自分の見たいように思い込むのだけではなく、本当のイミで、自分の中の真実を見つけ、信じ、穏やかな心を選択していくということは、まだまだできていなくて、
それは、日々日々の、ちょっとした感情の変化にも寄り添って、聴いてあげる訓練があってこそ、できるようになっていくものだと思う。
(できるようになると思えているところもまた自己信頼が育ったなぁと思うところである…)

自分を大切にするということは、何か大きなこと、派手なこと、特別なことをすることではなくて、本当に地味で、地道で、シンプルなことで、丁寧に暮らすということなんだと、やっとわかってきた気がする。

『丁寧に暮らす』のひとつに、わたしはすぐ面倒くさいと思ってしまうから、それを見直している。
自分のために面倒くさいをやってあげる。
そんな、小さなことのように見えるものを大切にすることの積み重ねが、大切なんだろうなと思う。

 

個人的にわたしはあきちゃんと知り合ったのは5年ほど前。

2年前にあきちゃんがスクールに通うようになり、自分と向き合っていく過程はしんどいこともたくさんあったと思います。

何もかもが信じられなくなったり(エゴイズムだけど)辛くて投げ出したくなることもあったと思う。
それでも、踏ん張ってスクールに来て、最近では本来の自分で、それでいいんだーー!
って、軽やかになられているのを見ていて感じます。

スクールでは今まで見てこなかった自分の内側の闇を見るために揺さぶりを起こすので、そこを見たくない子(一部のパーソナリティ)が抵抗し反乱を起こしたりもします。

誰にでも、ずっとあった傷や痛みに触れられるのは、はじめは嫌ですよね。
だって、触れるともっと痛く感じるから。

だから、もうこれ以上は傷つけないで!って一部のパーソナリティが抵抗をします。
その抵抗の相手がスクールだったりもします。

そんな経験も経て、今のこの素晴らしい感想です。

 

わたし自身もある時から、何かあってもまずは「自分に問題点をおく」ということに意識をしはじめた時がありました。

自分のどんなところが反応しているのか?
そこをきちんと見て、受け容れていくこと。

この癖がついてくると、一段と客観視や相手を理解することがしやすくなってくると思います。

スクールであきちゃんが言っていましたが、怒りという感情は誰かにぶつけないと静まらないと思っていたそうです。
それは自分の「分かってほしい」というエゴイズムがあったから、だと。

それはわたしもよく分かります。
わたし自身も怒りの感情が爆発すると自分の正しさを示したくて感情的になり、キレていることがありました。(家族限定です。笑)

最近ではそれさえも懐かしく笑い話のように語っています。

例え誰かに非難されたり、否定されたとき、感情がどんな風に動き何に反応しているのか自分をみる。
誰かを非難したくなったり、否定したくなっても、自分の内側の何が反応してそうしたくなるのか自分をみる。

そうやって疑惑と憎悪という葛藤でいっぱいになっているなら、まずはそんな自分をただ受け容れるところからです。

きちんと認識して、癒して、そして学びにしていくためにその経験をしているのです。

スクールはその学びの場所です。

そうやって学びを深めていくと、自分の内側の真実を信頼できるようになり、穏やかでいられるようになるのです。

それには何年も何年も時間がかかる人もいるし、すぐにできる人もいる。そこに良い悪いはなく、ただそうなだけです。

どんな環境や状況であっても自分は大丈夫だという穏やかな心のもちようは、自分への向き合いという日々の訓練から得られるものだと思います。

わたしもどんな些細なことにも、見落とさずに丁寧に向き合っていこうと改めて実感する日々です。

 

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